有名な井伏鱒二先生の和訳ですが、私は不調法なもので、この美しい詩を実現できないんですよね。「あっ、そんなになみなみつがれても飲めないっス」みたいな。さすがに色んなハラスメントが叫ばれている近頃では「俺の酒が飲めないのか!」とは言われませんが(昔は「あー飲めなんだー、つまんないね」と言われました)、お酒が飲める人同士の団結したコミュニティには入りにくいです。お酒強い人同士ってどうしてあんなに毎日でも気軽に飲みに行くんでしょうか。飲めない人同士で毎日気軽にごはん食べに行っているのは見たことがないです。
世の中はお酒が飲める人を中心に動いているような気がします。下戸の僻みかもしれませんが。やはり世の中は強者を中心に回っているんでしょうか。料理がおいしそうなお店に行ってもお酒はメニューの数ページに渡ってぎっしり載っているのに、ノンアルコールはちょこっと、多くても10種類くらいが申し訳程度に載っているだけ。ひどいときはウーロン茶、オレンジジュース、コーラくらいしかないですよ。お酒が飲めない人にも(ノンアルドリンクを)飲む権利を!!
お酒が飲めなくても死ぬことはないし、飲める人からしたらたいしたことじゃないと思うかもしれないですが、飲めない自分に対して、自分はなんてダメな人間なんだろうと感じています。お酒は飲めないし、ノリは悪いし、人に合わせられないし、運動できないし、運転できないし、すぐ乗り物酔いするし、酔どめ薬を飲むと眠気の副作用で信じられないくらい寝ちゃうし、閉所恐怖症だし、メンタル弱いし、ネガティブだし、片付けできないし、アトピーだし、花粉症だし、インプラントだし、貯金できないし、デブだし、結婚してないし、子供いないし、ひとりでいたいのにひとりでいたくないし、もう自分で自分が嫌になってしまいます。いったい、自分のどこにいいところがあるのか。気分が落ちていると何もいいところが浮かんできません。それでもまだ、自分にさよならはいいたくないです。
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このさかずきを受けてくれ
どうぞなみなみつがしておくれ
花に嵐のたとえもあるぞ
「さよなら」だけが人生だ
(于武陵「勧酒」、 和訳 井伏鱒二)