おひとりさまひとりごと日記

40代独身女性のおひとりさま独白

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如来の光明にあたりたい

今日はとても落ち込んでいます。ここ数日、心を無にして、というよりも心を閉ざして仕事をしていたので楽しいこともなければ落ち込むこともなく、なんの感情も起こらないように生きておりました。思い起こせば元々今の職場で楽しいことなんてひとつもなかったんですけど、心を閉ざして無感情に仕事をしていると落ち込むことも少なくなるんです。「うまくやろう」とかそういう向上心を持たなければ落ち込むことはないのです。「どうせあと10回くらい出勤すれば関係なくなるし」という気持ちで、ただ淡々と、黙々と目の前の仕事をしておりました。

今日は人柄とてもよさそうな方(社外の方)とお話しする機会がありまして、「この人の力になりたい」と思ってしまったんですね。ただ、今の職場ではとてもその人の力になることはできず、正直に現状をお話ししてしまい、結果としてその人の力になるどころか、その人を傷つけてしまったのではないかと思い、午後はずっと落ち込んでいました。口はわざわいのもとといいますが、言葉は凶器です。よかれと思ってした発言が、その人を傷つけてしまっていると、話している最中に気が付き、軌道修正を試みたのですが、そんな器用なことをできるわけがなく、嫌な気持ちが残ったままとなってしまいました。

その人を傷つけた自分に嫌気がさし、その人に「いい人だと思われたい」という浅ましい気持ちを持っている自分に気付いてさらに自分に失望、本当に自分で自分が嫌になってしまいました。こんなことがもうないように、もっと言葉に注意して、生きていこうと決意いたしました。

如来の光明はあまねく十方の世界を照らして 念仏の衆生を摂取して捨て給わず」

阿弥陀様の光明には12通りの光明があると説かれ、その中で特に清浄光(しょうじょうこう)は貪りの為に泥沼のように汚れた人の心を清らかにし、歓喜光(かんぎこう)は怒り、ねたみ、そねみのとがった心をまどやかな喜びの心にかえ、智慧光(ちえこう)は物の道理が分からない愚かな暗闇の心を明るく導いてくださるのです。そして知らず知らずの間に身も心も柔和円満な人になるという…有り難や。

 

落ち込んでいるので唐突に仏教の話になってしまいました。高校生のときに週1回、仏教の授業があり、「お釈迦様は〜」という有り難いお話を聞いていたので、つい出てきてしまいました。…嘘です。授業聞いてなかったです、すみません。ゴータマシッダールタが断食の修行に失敗してスジャータちゃんにミルク粥をもらうとこしか覚えていません。